直言无隠


日々感じたことをそのまんま綴る。
by gongteng-zj
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始まりの始まり

帰国以来、約2年半振り位にこっちに投稿。
悩んでた種もとりあえず少し解消出来ました。

やっと、始められる感じ。
やっと、動ける感じ。
やっと、落ち着いた感じ。

今は興味の向く先に歩いて行こうと思います。
その先に、きっと何かがあるでしょう。

# by gongteng-zj | 2008-10-25 19:06

帰国

1年住んだ天津を離れる時。
何と無く、思うことがあったと思う。

一緒に徹夜して、見送ってくれた友達。
まさか、でも、嬉しかった。

日本に着いて、現実を見た気がした。
やっぱり色々ずれていた。

天津に帰りたい。
それは少し逃げだけど、今の僕には必要なことなのかもしれない。

# by gongteng-zj | 2006-08-20 23:59

歴史を尋ねて(3)

連日暇な最近。
今日は日本租界へ。

日本租界では目立った建物はあまり無い。
イギリス、フランス租界と違って政府機関に使用されている物も無い。

そんな中で有名なのは静園。
清朝最後の皇帝、宣統帝溥儀が住んでいた場所。

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今は一般の人が住んでいるそこは、看板が立てられて説明が少し書かれている程度。
「保存」という目に見えた形では特になされていないのが現状だ。

溥儀は日本軍の監視の下、ここで暫く生活をしていた。
そして九・一八事変後、日本軍の画策の下に溥儀は東北にある満州国の皇帝になることを決断。

1931年11月10日の夜、変装をした溥儀は日本人の護送の下に秘密裏に静園を離れ、イギリス租界の埠頭から船に乗って東北へ向かった。
こうして彼の傀儡生活が始まったのである。

その他にも以前日本の小学校だった建物は、今は天津の中学校になっていたりした。

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昔はここで、日本人が学んでいたこと。
通りには、日本人が住んでいたこと。

建物は良くわからないけど、確かに中国の物ではない建物も見受けられた。
未だに残る租界の跡。

日本人にとっては不思議な空間。

# by gongteng-zj | 2006-08-16 23:59

歴史を尋ねて(2)

帰国前に、天津の街をもっと見たくなった。
そんな今日は自転車でイギリス、フランス租界地へ。

前の日記にも書いたが、以前天津には多数の租界地が存在した。
最盛期には9ヶ国もの国が租界を置いていた。

租界とは、外国人による管轄区域のことである。
清末の開港時期、条約に基づいて設置されたものだ。

租界は中国にとって外国の侵入口であると同時に、
海外文化の吸収口でもあった。

そんな租界地に出掛けて来た。

今日はイギリスとフランス租界地。
どちらも営口道を境に隣接している。

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以前は外国の土地であった為か、建物は西欧風。
そこは天津の街だが、どこと無く、やはり西欧。

その中でも金融街だった解放北路は圧巻だった。
沢山の銀行が所狭しと並んでいる。
どれも立派な建築だ。

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基本的にはそれぞれの租界地で最高の建築物を市政府が接収し、
現在はどれも政府機関の建物になっている。

それでも、昔の租界時代の香りを漂わせていた。
現代の発展する市街地と共存する異国風の町並み、天津独特の風景。

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# by gongteng-zj | 2006-08-15 22:52

ラサ→北京西→北京→天津→南開大学=51時間

天津に無事帰ってきました。
時間にして51時間。
何か帰るのも旅って感じ。

帰りは開通したばかりの青蔵鉄路で。

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車窓からの景色は本当に綺麗だった。

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最後の北京は曇りだった。
本当の最後は空港で。
でも、街中は多分これが最後。

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北京を見る、最後。
またいつか、すぐにでも来ると思う。
けれど…。
何でだろう、帰りたくない。

残る天津滞在もあと僅か。
離れるの、少し寂しいな。

宿舎に帰って来た時に、「帰ってきた」って感じた。
やっぱり、1年でもここには凄い思い入れがあります。

残りの時間を大切に。

スローライフin天津。

# by gongteng-zj | 2006-08-10 23:59

21日目@ラサ

長かったラサ短期留学も今日でおしまい。
最終日の今日も、ラサは綺麗な青空をのぞかせた。
特にすることも無く、ジョカン周辺のお店をぶらついた。

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最後なんで色々お店を見て回る。
お店のおばちゃんと値下げ交渉で格闘したり。
はたまた裏路地に入って写真を撮ったり。

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長いと思ったラサ滞在も、あっと言う間の3週間。
こういう形の旅行も中々良いなぁ、なんて。

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ショトン祭、カイラス巡礼、エベレストBC。
見たいもの、行きたいところはまだまだあるけど…。

次はいつまた来られるでしょう。

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# by gongteng-zj | 2006-08-07 23:45

20日目@ラサ

今日も快晴のラサ。
朝が遅いのは前にも書きましたが、夜も遅いです。
日が沈むのは21時位かしら。
1日が長くて、空気が薄くて、本当に疲れる。

昨日のセラ寺に引き続き、今日はデプン寺。
このデプン寺もショトン祭の際には大きなタンカが開帳される。

デプン寺はラサ市内から12km程郊外にある。
ワゴンのようなミニバスで、チベタンと共にガタガタ揺られながらデプン寺入り口へ。

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入り口はまたしても山の麓。
このお寺も山の麓に建設されている。

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長い長い舗装された坂道を延々上ってゆく。
途中牛や馬が沿道に居たのでカメラでパシャパシャ。
すると1人の若チベタン僧がこちらに近づいてくる。

「疲れたか?」
と、にやけながら息も切れ切れ写真を撮る僕にそう言う。
しかし若僧もゼイゼイ言ってるのは気のせいか。

で、話してみるとアムド出身の彼は今、デプン寺で3年前から勉強中という。
しかも年齢も同じで、日本語を予てから学びたいと思っていたらしい。

「これも何かの縁だ!」
とはしゃぎまくる若僧(22歳)と色々話したが…。
仏教用語が全く分からない。

漢字だから知っている仏教用語を漢語読みすれば良いのだが…。
如何せん聞き慣れない言葉だと脳が全く反応しないで非常に困った。
「ダライ・ラマ」とか、「戒律」とかは分かるけど、その他はちんぷんかんぷんだった。

2人でゼイゼイしながらデプン寺に到着。
チベタンなのに僕以上に疲れて見えた若僧。
そんな彼と別れて観光開始だが…。

これがセラ寺以上に迷路の様な造り。
しかもこの時点で坂を上って来てるから標高は4000m近い。
階段一段毎にいちいち息が切れて本当に疲れる。

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「地○の歩き方」の地図は全く役に立たないし、迷いに迷って3時間強。
やっとのことでそれらしい建物は全部回れた。

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やはり山の麓に造られているだけあって、景色は抜群に良かった。
お寺はそれはそれは由緒あるものである。
でも、それより何より綺麗な景色と新鮮な空気、それだけで十分な気もする。

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ラサ出発も近いこの頃。
ちょっと離れ難くなっています。

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ちなみに帰りは開通したばかりの青蔵鉄路で帰ります。
案外簡単にチケットゲット!

# by gongteng-zj | 2006-08-06 23:31

19日目@ラサ

ラサ滞在約3週間。
最早ラサ短期留学状態。
こんな筈ではなかった気が…。

そんな今日はセラ寺に行ってきた。
100年程前、日本の仏教学者である河口慧海や多田等観がチベット仏教を学んだチベット3大寺院のひとつ。

ショトン祭というチベット最大のお祭りの際には、タンカ台に大きなタンカが開帳されることで有名。
その他、中庭で行われる僧達の問答修行も目玉のひとつ。

セラ寺はラサ市内から8km離れた郊外にある。
山の麓に建てられた大きな古刹だ。
寺の裏山からはラサ市内が一望出来るという。

その「ラサ市内一望」と言う言葉に引かれ、早速山登り。
山と言っても丘って感じだけど、ここは既に標高3700m。
ちょっと登ってはすぐに息切れを繰り返す。

とっとこ登るチベタンの脇でひとりゼイゼイ言う自分。
高地生まれには勝てないと思いつつどんどん登る。

本当は4000m以上あるけど、心配機能的な問題で中腹で終了。
大きな岩に腰を下ろしてのんびり休憩。
照りつける太陽とゆっくり吹く風が心地良い。

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ぼけっと風に吹かれながら風景を楽しむ。
そんな昼下がりの午後。
贅沢な瞬間。

とっとこ歩けば1時間もしない裏山の巡礼路。

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それをのんびりし過ぎて気が付けば3時間も経っていた。
慌ててセラ寺内へ。

セラ寺の敷地は非常に広く、建物はちょっとした迷路。
リアルRPGみたい。
観光ルートのはずがチベタンのおばあちゃんがご飯炊いてたりとか。

主だった観光客はやっぱり漢民族。
それでもチベタンの姿は目立っていた。

チベット語は全く介さない自分。
それでもにこっと笑えばにこっと笑い返してくれる。
そんな心温まるチベタン達。

凄いのはチベタンのお子様。
ジェスチャーで必死に何かをアピール。
何かと思ったらカメラで写真を撮ってとのこと。
レンズを向ければしっかりポーズをとる子供達は非常に可愛らしい。

敷地内をぶらぶらしていると一際騒がしい場所が。
15時から始まる裏庭での問答修行だ。

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若い僧から年を召した僧まで、皆独特のポージングで問答をしている。
写真は撮り放題らしく、レンズを向けられても何の反応も無し。

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何枚か失敬してその場を後にした。

そして気が付けば17時。
お寺の閉まる時間。

100年前、ここに日本人が居たこと。
その100年後、自分が居ること。
同じ風景を見ていたのかなぁ、なんて。

歴史と言うか、何か不思議な縁を感じる場所。
出来ればショトン祭まで居たかった。
チベタン曰く、今年は8月23日から。

次は来年だなぁ。

# by gongteng-zj | 2006-08-05 23:59

11日目@ナムツォ

ずっとラサに居るのもあれなので、少しお出掛け。
ラサ近郊にあるナムツォと言う湖に1泊2日で行ってきました。

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ナムツォはラサから約200kmのところにある大きな湖。
チベタンにとっては聖なる湖の1つ。
標高4718mはラサより更に1000m程高い場所。

途中ランチェン峠という標高5190mのところで下車。

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記念碑の周りで写真撮影などをする団体さんを横目に深呼吸。
やっぱり空気は格段に薄い。

で、ナムツォに着いた感じではラサとは変わらない気候。
昼間はTシャツで快適に過ごせると言ったところ。

湖は琵琶湖の約3倍の広さで、見渡す限り海と同じ。
そしてその湖を見渡せる山を登って観光…。
だが、階段1段で既に息切れ。
頭はマラソン直後の酸素不足状態。

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3時間程かけて湖周辺を観光。
雲は手が届きそうな程低く、聖なる湖は空のように青かった。

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そして夜。
日が沈む21時を待ち、外へ。

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昼とは打って変わって極寒の大地。
真夏とは思えない程空気は冷え込んでいた。
しかしそのお陰なのか。
真っ暗に染まった空に沢山の星。

始めて見る光景だった。
どんな小さな星でもしっかりと肉眼で見え、そして今にも落ちて来そうな程に空一面にばら撒かれた星。

1時間、寒さに耐えながら湖岸でずっと星を見ていた。
サンダルにシャツの重ね着にチベタンの被る布1枚。
風は冷たく、周りに明かりなどは全く無い。

それでも、ぼぉっと星だけを見ているのは何か楽しかった。
手で星が取れそうな程、こんなに近くに見えた星は初めてだった。

標高約5000mの星空。
写真に残せない感動でした。

# by gongteng-zj | 2006-07-28 18:27

6日目@ラサ

今日は念願のポタラ宮へ。
ラサ到着後、このポタラ宮観光が楽しみの1つでもあった。

ポタラ宮のチケットは1枚100元。
参観したい日の前日にチケット売り場に並び、予約をするという方法。
そこでは何とも中国らしいビジネスが成立している。

外国人が普通に列に並んでも予約が出来ることは稀。
並んでいる途中になんやかんや言われて列の半分ぐらいは追い出されてしまう。

じゃあ先頭に並べば良いと言うが、先頭は先頭でコネのあるであろう中国人達が陣取ってしまっている。
そして列を追い出された外国人にこう声をかける。

「チケット欲しくない?」

列に並べなかった外国人はチケット欲しさにこの先頭の中国人にチケットの代行予約を頼む。
手数料は何と100元だ。

そして先頭の中国人に予約票を代わりに取って来てもらうわけ。
その報酬に100元。
中には200元で代行してやるという中国人も居た。

で、ポタラ宮参観当日。
建物に入ってチケット売り場があり、そこで前日入手した予約票と100元を渡し、晴れてポタラ宮のチケットをゲットするわけ。

つまりつまりこういうこと。
ポタラ宮の参観料は元々100元である。
その100元は参観当日に払えばいい。
と言うことはあの予約票は本来お金が掛からないわけ。
つまりは最初に中国人に払った100元は丸々その人の儲けになる。

こういう状況を、チケット売り場の人間が黙認しているのが何とも腹が立つ。
僕はまだまだとは言え多少中国語が分かる。
だから100元だったし、ぼったくられもしなかった。

だが、西欧人はどうであろうか?
英語しか分からず、中国人が何を言っているかも分からない。
また、チケット欲しさに多少の高値でも支払ってしまうのが現状だ。
中には正規料金の2倍の手数料を払わされている外国人も居る。

こういうの、放置してていいのかなぁ。
チケットが希少なのに付け込んで、法外な料金を言われることも。
僕は本来自分で並べば無料な予約票を、300元でどうだと言われたことがある。
流石に呆れるしかなくて苦笑いで流したが…。

そんなこんなで結局僕は100元で取ってもらったわけ。
旅行社の代行でも100元の手数料なので、結局先頭の中国人に払ってしまったわけである。

で、念願のポタラ宮参観だが…。
予約票に書かれた時間に正門へ行ってみると、既に多くの中国人が。
天気は生憎の雨。
嫌な予感が頭をよぎる…。

8時半、開門と同時に係員の「1列に並んで下さい!」の声。
それをかき消すかのように1つしかない入口に突っ込んでいく中国人。
嫌な予感は的中だ。

巻き込まれた僕はサンダル履きの足をこれでもかと踏まれ、雨も降っていた為に傘の周囲にある金具が目に当たる始末。
挙句の果てには抜かした抜かすなでおばちゃん達がぶち合う喧嘩まで発生。

入口が1つしかないのに、みんな我先にと押し合い圧し合いする。
なんとも馬鹿げた光景だといつも思う。
一緒に居た西欧人も非常に困惑したと同時に、大変苛立っていた様だ。

門までわずか2mの距離なのに、ようやく入場出来た時には30分が経過していた。
流石に慣れていたとは言え、やっぱり非常に腹が立つ。

何とか入場し、1部屋1部屋見て歩く。
ポタラ宮内部は開放されている場所が限定されているとは言え非常に広かった。
例えて言うなら何個もお寺を回っている感じ。

1部屋に大きな仏様や、または歴代ダライ・ラマの玉座。
そんな部屋が何室も続く。
そして最後にはダライ・ラマ5世の霊塔。
約3700kgの金を使って造られたと言うそのものは非常に圧巻であった。

印象的だったのはやはりチベタンであった。
1つ1つお賽銭をあげ、深々と祈りを捧げる。
お金の換わりにバター灯にバターを入れて行く者も居た。

ダライ・ラマ14世がインドに亡命して47年。
それでも熱心に、そして必死に祈りを捧げる姿に真っ直ぐな純粋さを感じた気がした。

しかし、ここでも残念なことがあった。
ジョカンの件でも書いたが、やはり中国人の態度であった。
ジョカン動揺室内はそうでもなかったが、室外ではポタラ宮敷地内と言えど痰を吐く始末。
更には大勢でやって来てチベタンの祈りもなんのその、がやがやと騒ぐ騒ぐ。

ここは元々何であったかを考えて欲しい。
普通の観光地ではないのに…。
何だかそれが1番残念であった。

勿論全ての中国人がそうとは言わないが、少なくともラサで見かけた人々にそれを弁えて居る中国人は見られなかった。

折角のポタラ宮参観も、何だか少し興醒めしてしまったのは僕だけではないはずだ。

# by gongteng-zj | 2006-07-23 23:59